~ 第7回:悪行と煩悩、そして七仏通誡偈が示す道 ~
私は、採用営業や法人営業、経営管理、給与計算や請求書作成のための「社内システムの開発」、宣伝のための「ホームページ作成」、会社案内や求人広告作りのための「デザイン作業」を一人でこなしてきました。これらは「土日祝日」「正月」「お盆」「ゴールデンウィーク」を返上し、ほぼ休みなく出社して完成させたものです。また、私は役員報酬を「148,000円」に設定し、会社の資産をしっかりと蓄え、社員に迷惑をかけないよう努めてきました。それは、どのような苦境に立たされても倒産しないためであり、少なくとも給与の2か月分の貯蓄は必要だと考えたからです。
しかし、その努力にもかかわらず、その年の決算では税金が3,000万円という計算結果が出ました。この経験から、会社経営には会計や税務の知識が不可欠であることを痛感させられました。
そんな時、再会した田舎の同級生が、小さな会計事務所で働いていると言うではありませんか。お金を扱う仕事ですから信頼できる人でないと任せられませんが、小さな田舎の出身ですから、悪い噂は直ぐに広がります。悪い事は出来ないだろうと考えて一緒に仕事をする事にしました。
7年ほど経った頃、リーマンショックの影響で日本にも不景気の嵐が吹き荒れて、会社も経費節約と緊縮財政を余儀なくされました。そこで、会社の入出金を細かくチェックし始めたところ、税金の納税額に差異がある事が分かりました。口座からの入出金や納税額はその都度チェックしており、口座から納税した金額と納付書の金額もあっていますが、私が作成した「社内システム」の納税額と差異があったのです。
納付書を詳しく調べて銀行に問い合わせたところ、納付書の一部の銀行印が「偽造」である事が分かりました。2年にも渡って「横領着服」していたのです。本人に問いただし、資料を揃えるよう指示したところ、隙を見て姿を消しました。そこでその夜、マンションを訪ねてみると、海外に発送する送り状が張られた荷物が置き去りにされていました。
私は、警察に被害届を提出する決心をしました。しかし、起訴されるまで実に1年以上の時間が掛かりました。告訴に必要な資料を延々と作成しながら、一方、リーマンショックで経営不振に陥った会社の立て直しと、2重の苦難を背負わされる事になったのです。心が折れそうになる中、懸命に頑張り通して、そして、それから1年以上に渡る裁判の末、5年半の実刑が確定しました。
このような、不正行為が明るみになる事がたまにありますが、それは氷山の一角だと思います。大谷選手でさえ、信頼している仲間に裏切られ、何十億もの金銭を「横領着服」されてしまいました。この事は、犯罪に手を染める特別な人間が存在するのではなく、誰もが同じ性(サガ)を心の中に持っている事を示唆しています。仏教的には、「色(しき)」「業(ごう)」「我(が)」などと表現できるでしょう。人間は、自分を含めた誰もが「煩悩」「欲望」の塊でできている事を理解する必要があります。
仏教には、「七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)」という教えがあります。
諸悪莫作(しょあくまくさ):すべての悪を行わない。
衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう):すべての善を積極的に行う。
自浄其意(じじょうごい):自らの心を清める。
是諸仏教(ぜしょぶつどう):これが諸仏の教えである。
この簡潔な教えは誰でも理解できます。しかし、中国の詩人「李白」が「そんなことは三歳の子供でも分かる」と言ったとき、高僧(改善昭覚)が「だが、80歳の老人でも実践できない」と返したように、実践には強い意思と自省が求められます。
私は、会社の資産を簡単に「横領着服」できる立場にいます。しかし、このような仏道の教えを学ぶ機会を通して、「色は背負える分だけ」そして「空は色を背負わせてくれる源」であると感じます。つまり、自分自身が分相応のふさわしい努力や信頼や信念を持ち合わせていないならば「色(現実の欲望)」はもろくも崩れ去ってしまうのではないかと思います。
この事件や苦難を通して痛感したのは、人間の心に潜む「悪行」「煩悩」「執着」の存在です。大きな成功を収めようとすればするほど、同時に大きな「落とし穴」や「弱さ」を抱えているのかもしれません。だからこそ、仏教が説く「諸悪莫作」「衆善奉行」「自浄其意」という教えは、現代社会においても貴重な指針となるのです。
そして何よりも「色は背負える分だけ」という気づきは、私の価値観を大きく変えました。分不相応な「色」に振り回されるのではなく、「空」を源とする謙虚さや他者への配慮、そして自分なりの正しさを貫く努力――これらを続けることが大切だと感じています。
私たちは煩悩や欲望から完全に離れることは難しいかもしれません。しかし、「背水の陣」で努力するのではなく、適切な距離感や倫理観をもって「色」と向き合いながら、「空」への敬意を忘れない。これが、私にとってのこれからの人生の歩み方でもあります。